これまで、初期仏教以来の釈尊の教えを中心に述べてきましたが、大乗仏教の隆盛にともない、特に般若経典類の中で「空」という言葉が頻繁に使われるようになりました。
「空」とは、基本的にこの世のすべてのものは、原因と条件との関係性においてのみ存在するという意味です。それ自体で独立した本質や実体を持つものはなく、全ては人々の心の中に存在するさまざまな関係性が、概念化され、分類され、名称がつけられたものでしかない、とする考え方です。
したがって、これらの概念に固定的な意味を付与することが、それらに固有の本質や不変の同一性があることを意味するわけでは決して無いとされます。
例えば、椅子を例にとってみましょう。よく観察してみると、そこには「スポンジ」「 布」「鉄 」「プラスチック」の組み合わせがあるだけです。私達はこれらの素材の組み合わせに「椅子」という名称を便宜的につけていますが、椅子という概念は私たちの頭の中にしか存在しません。
その証拠に「椅子」という概念を持っていない人がそれを見て「テーブル」として使うかもしれません。
したがって、様々な素材が構成する関係性は基本的に「空」であり、それにどのような意味を持たせようとも、それは主観的なものでしかありません。「スポンジ」「布」「鉄」「プラスチック」の組み合わせを「椅子」と考えるか、「テーブル」と考えるか、場合によっては「乗ったり、遊んだりするおもちゃ」と考えるかは、結局のところ個人の解釈次第なのです。
しかし、社会の大多数が共有する意味や概念を受け入れるほうが、実際の生活では都合が良いことが多いわけですが、ある概念が多くの人々によって共有されているからといって、それが現実における不変の本質を表しているとは限らないわけです。
しかし、私たちは子供の頃から、言語を通じてこれらの共有された意味や概念を教え込まれてきました。そのため、私たちはしばしば、これらの概念自体が、それらに対応する対象の「本質」や「不変の同一性」を表していると誤解してしまうのです。いわば、「固定概念 」を刷り込まれているわけです。その結果、私たちはしばしば無数の 「固定概念 」に囚われてしまいますが、本質的に暫定的でしかない概念に囚われるのは実は馬鹿げたことなのです。
この 「空」の視点は、物事には固有不変の本質がないことを強調し、そもそも、ものには固定的実体があるという見方を否定し、あらゆる思い込みから人々を解放する事が意図されているのです。
この視点は、釈尊の入滅後、3世紀~4世紀頃に、初期の大乗経典である般若経典において特に強調されるようになり、さらに、南インドの学者である龍樹によって、紀元2世紀頃に精緻化されました。
しかし、この視点は釈尊の教えから一方的に逸脱した訳では全くありません。それどころか、釈尊は 「中道」と「無常」と「無我」を説かれました。そして「無常」は、この世のあらゆるものは常に変化しており、恒久的な同一性を保持するものはないと教えます。「無我」は、無常を補完するもので、恒久的な同一性を保持するものはないため、固有の、「我」、などというものは、存在しないとするものです。
身近な例で説明すると、1913年から存在する野球チーム「ニューヨーク・ヤンキース」の例を考えてみましょう。そもそも、何が「ニューヨーク・ヤンキース」を構成しているのかを詳しく調べてみると、固定した存在や不変の本質などないことがわかります。ベーブ・ルースの時代のチームと現在のチームは、選手、監督、コーチともに大きく異なっています。不変の同一性を持つ「ニューヨーク・ヤンキース」など存在しないのです。いつまでも続く可能性があるのは、唯一その「名前」だけです。つまり、ニューヨーク・ヤンキース」とは、最初から特定の野球選手達の集まりに恣意的につけられた名前に過ぎなかったのかもしれません。
従って、永続するのは単に「名前」や「概念」に過ぎず、それは人々の心の中にのみ存在し、実際の選手は絶えず変化しているという意味で、無常であり、無我であると言えます。
同様に、松井秀喜のような選手個人も、(彼の肉体は)約60兆個の細胞から構成されており、約2年半で完全に入れ替わります。遺伝情報であるDNAこそが肉体の設計図であり、(彼の同一性を)維持していると思う人もいるかもしれませんが、実際には環境の変化によってDNAの現れ方は大きく変化するとも言われています。したがって、少なくとも肉体的には、松井秀喜に不変の本質など無いのかもしれません。人格的な面でも、起業家として成功するかもしれませんし、逆にホームレスになるかもしれませんので、彼の本質は不変であるとは言えません。もし松井秀喜に不変の本質があるとしたら、彼は良くも悪くも変わることはできないでしょう。固定された本質や同一性などないからこそ、人間は変われるのです。
このように、「無常」と「無我」の概念は、当初、自分自身や関連する現象に対する固定概念や執着をなくすという実践的な目的で説かれました。しかし、釈尊が亡くなってから2世紀~3世紀後、釈尊の教えを綿密に分析・分類した弟子たちのグループの中で、新たな視点が生まれました。基本的には「無我」の立場を維持しながらも、人間が認識する対象のいくつかには何らかの実体や本質が内在しているという考え方が、後に多くのアビダルマ文献を残した、「説一切有部」、と呼ばれる学派を中心に表面化し始めたのです。
その後、このような視点に対する批判が起こりました。これらの批判者達は、実体論的な世界観は、仏陀の無我の教えと矛盾する、と反論したのです。そして、このような実体論的な考え方は、阿羅漢を究極の目標と考える人々の間で発展したため、批判は実体論的な考え方だけでなく、阿羅漢を目指す修行方法そのものや、多くの苦悩する衆生を放っておいて、自分だけ阿羅漢となり、涅槃に入ろうとする、無慈悲な態度にも向けられました。
このような動きは、般若経典類の編纂につながりました。般若経典類は「空」をテーマとし、実体論的な世界観は、仏陀の「無我」の教えに反するとして、否定しました。また、これらの批判者たちは、個人の悟りである阿羅漢に到達することだけに専念するのは、利己的なアプローチであると批判し、その様な修行方法に代わるものとして、すべての衆生が共に、菩薩行を行じて、共に仏に至る道を歩む修行を提唱しました。この運動は後に大乗仏教として発展する事になったのです。
そして、紀元2世紀頃、「龍樹」が現れ、般若経典類に説かれている「空」の観点をさらに精緻化しました。彼は実体論的な見解を批判し、「空」の概念を、固有の固定した実体や同一性を持つものはない、と強調するものとして再定義し、それによって釈尊の「無常」や「無我」、そして何よりも「中道」に対する姿勢を再確認したのです。